2009年10月17日土曜日

ブラジル映画祭 関西紀行 OSAKA




ついにやってきました、ブラジル映画祭in大阪。
東京は山手線。大阪は環状線です。丸いんです。

ブラジルで撮影していた頃、映画祭の桃子さんから、大阪での上映が決まりました!というメールをいただき感動した。
ブラジル映画祭も初めての関西での上映という事で、ほんとうにご尽力されたと。
私は生まれは大阪のため、非常に嬉しく思いました。
そして無事この日が迎えられることに感謝。





九条駅という、大阪の中でもディープな駅に降り立つ。
駅前には、「喫茶ポポ」。なんとも言えない脱リキの空間が広がっておりました。



大阪での劇場は、シネ・ヌーヴォさん。
大阪在住の友人、マゼランが足しげく通うという、映画ファンには聖地のような映画館だ。

大阪上映にあたり、
関西で撮影させていただいた、出演者の方とも再会できて本当に嬉しかった。
日本で初めてサンバカーニバルが始まった神戸まつりを取材した、藤塚フランシスコ・ミツルさん。山田芳信さん。
ノボス・ナニワーノスさん。
ほんとうにお忙しい中、ありがとうございました!


上京してから、早12年。
すっかり大阪の友達もおらず、ほんとにお客さんが来ていただけるのだろうか、不安でしたが、
神戸、大阪、京都から、沢山の方がかけつけてくれた。感激です。
補助席で2時間も観ていただいたみなさまは、お尻が痛くなっちゃったんだろうと。すいません。


映画の笑いポイントが、東京と大阪。違ったのが印象的でした。
私の笑いのツボば、12年の間に一体どのように変貌してしまったのか…。そんな自問自答を繰り返しておりました。


(脱リキしてしまったため、映画祭の写真が全く撮らずでございませんでした。すいません)


上映後は、平日ながら、みなさん居酒屋の打ち上げに参加していただき
本当に嬉しい限りでした。ブラジル音楽サークルの仲間であった、マゼラン、先輩の琴岡さんのしきりにより
楽しい一夜となりました。ありがとうございました。



乾杯の音頭は、我らがブラジル映画祭のエジソンさん。
ほんとうにお疲れさまでした!そしてありがとうございました!


しめのラーメンは、ノボスの皆さんおすすめのラーメン屋にて。
足元おぼつかない状態で、良ちゃん、祈に送っていただきまして、ほんとに皆様におんぶにだっこの関西紀行。
ほんとうにありがとうございました。

帰りの新幹線の中で、
おそろしい数の方の、お力添えのお陰で、映画ができあがり、上映、皆さんに観ていただいたのだと思いました。
東京、大阪の上映に来れなかった皆さんからも上映会のお話をいただき、
ほんとうに夢にも思っていなかった展開で、ほんとうに感謝の言葉もありません。

デモ行進から、はや10ヶ月。
この一年は、pertificando年でした。
様々な局面で励まし、激励を飛ばしてくれた、大阪のオカン。ありがとう。

2009年10月14日水曜日

ブラジル映画祭 関西紀行 KYOTO




10月13日 夜。

神戸でのラジオ取材を終え、京都に向かう。
移動電車の中でも読書を欠かさない勉強家の先生。書籍は、町田康/荒木経惟『俺、南進して。』


阿部さんのミュージシャン仲間である、良ちゃんの元へ。
良ちゃんが駅前まで迎えに来てくれた。ほんわかとした京都弁にほっこりする。
良ちゃんは、バンドリニスタで、今回の関西紀行に合わせて、ホントに急なお願いの中、関西でのライブを
準備してくれたのだった。

数日前に、
「僕も阿部さんの演奏を、関西の方に聞いてもらいたいんですよ」と良ちゃんと電話でお話したとき、
本当に阿部さんのギター(人柄も)は多くの人に、愛されているんだ、と感じました。

良ちゃんの車で、
京都のAfro Rock 酒場/Hybrid Cafe「VIVA LA MUSICA!」さんに着くと
京都のRODA DE SAMBAが盛り上がっていた。
皆さんのレギュラーの練習にちょっとおじゃまして、ミニライブを開催させていただく。
ほんとうに京都の方の、懐の深さに感銘。



バンドメンバーは、今日が初顔合わせの
パンディエロの徳ちゃんと、
ピアニカの祈(いのり)。
そこに良ちゃんと阿部さんが加わり、ショーロバンドが結成された。

良ちゃんのお気遣いもあり、ライブの前にブラジル映画祭の告知と簡単な内容説明を。
ブラジル映画祭も今年から、関西で初めての開催という事で、京都の人たちも足しげく通っているようで、
「3本観ました!」なんて方もちらほら。
ブラジル音楽人気の底力を感じる。
映画にも興味を持っていただいたみたいで、はるばる京都から映画館に行くよ、と言ってくれた方も。

ぶっつけ本番の演奏。
ほんとに良ちゃんありがとうございました!

そして,突然のライブを開催していただきました「VIVA LA MUSICA!」さん、ありがとうございました。

良ちゃんと阿部さん、積もる話も盛り上がり、24時ぐらいにお店を後にし、良ちゃんとお別れ。
なんだか、さっき会ったばかりなのに、昔からの知り合いのように懐かしく感じた。
そして、名残惜しく別れた。

夜食に食べたラーメンは、九条ねぎが、山盛りだった。


10月14日

午後、良ちゃんの車で、villegeさんへ向かう。
お店は自然食レストランで、音楽ライブも沢山。





マスターは超気さくな方で、早速家のようにくつろぐ。。。
良ちゃんと、阿部さんはリハーサルを始める。

良ちゃんは、映画にも登場するホナウドの元で修行した彼の弟子でもある。
なんとなくバンドリンの構え方が、ホナウドのようです。




2ヶ月、いてもたってもいられずブラジルへ旅立ち、単身ホナウドの元で修行をした、良ちゃん。
そのブラジル音楽への愛情、情熱は、映画に登場した多くのミュージシャンと同じコラソン。
映画を通じて、沢山のミュージシャンのブラジルへの愛情に触れ心を揺さぶられ続けていたのだが、
こうして、また、映画上映を通じても沢山のブラジルを愛する人々と各地で出会える事に
本当に感謝している。


昨晩のRODA de SAMBAの皆さんも連日駆けつけてくれて
お店はあたたかい空気に包まれた。
皆様、ほんとうに連日、ありがととうございました!






villegeさん、ありがとうございました。
京都の皆様、ほんとうにありがとうございました!
上映会行けるようにがんばります!

明日は、ついにブラジル映画祭OSAKA。

2009年10月13日火曜日

ブラジル映画祭  関西紀行 KOBE




旅は好きです。

もう10年近く前になるかもしれない、神戸の大震災があった後、FMわいわいというラジオ局を知った。震災時神戸に住む外国人に向けて、世界11言語で神戸の長田から放送されている。
当時、ブラジル人コミュニティに向けても発信してるという話から、私は是非取材したいと訪ねた。プレハブの小さな建物の中で元気に活動されていた、金さんの姿は忘れられなかった。

ふと、ブラジル映画祭が、大阪でも今年から開催されるという事で、メールを送ってみたら、映画のことを取り上げましょうと、快諾していただいた。
「カンタ ブラジル」という番組に阿部さんと出演することになった。

なんとなく、見覚えがある鷹取駅前。住所を頼りに進んで行くと、当時のプレハブからは想像もつかない、立派なオシャレな建物が建っていた。
心地のいい土地というものはある。ここはそうだ。
なんとなく懐かしい気持ちで中庭を進むと、見覚えのあるマリア像が立っていた。

金さんと再会すると、「探したら名刺ありましたよ」と笑顔で迎えてくれた。
もう何年も前の事なのに、人との出会いを大切にしている金さんの仕事、お人柄に本当に頭が下がる。

金さんのご紹介で、関西学院大学の山中教授をご紹介頂く。収録までの間近くのお店で、関西寿司とビールをごちそうになりながら、お話をさせていただいた。
先生は、ハワイのフラダンスに始まる文化を研究されているということで、日本の中のハワイ文化についても、日々感じるところがあるという。
日本の中のブラジル文化もまた、同じ苦悩と魅力を持って存在している事が分かった。
それにしても、関西の先生は、とても友好的で敷居が低くてとても嬉しい。
ブラジルのようです。


その後は、関西学院大学山中ゼミの学生の皆さんの前で、阿部さんが演奏。
阿部さんは空気のようなのでいつでもどこでも馴染んでゆく。
ギターの音だけが神戸にひびいていて、その光景は日本でも東京でもブラジルでもなんら変らない。音があるだけなのだ。





収録は、関西ブラジル人コミュニティの松原マリナさんがナビゲーター。
スタッフの山田千恵さんの笑顔に和む。

マリナさんが、「pertificand」のタイトルを繰り返していて、うーんと悩んでいるようだった。「それは造語なんです」という話になって、マリナさんは、ポルトガル語を忘れちゃったのかと思いましたと。

阿部さんがポルトガル語でマリナさんと対話。
それをまた、日本語で伝える。マリナさんのポルトガル語への即興の翻訳がとても自然で優しかった。阿部さんの生演奏、映画でも登場する「子守唄」「Bossa Pra Edu」数曲を演奏して、50分の番組となりました。


こちら。
http://www.tcc117.org/fmyy/index.php?e=541

そして、FMわいわいの入っているたかとりコミュニティーセンターで働いていらっしゃる国本隆史さんとも知り合った。
国本さんは、東京出身で、神戸で働いている。はるばるここで。
私は大阪出身で、東京で働いている。はるばるあそこで。
阿部さんと、実家が近いという事で、なんだか会話が弾む。

国本さんはドキュメンタリーを撮っている。
今、撮影中の映画「記憶にございません」は、幼少期にヒバクシャ(被爆者)となった、日系ブラジル人のおばあちゃんを通じて、
その「Chuva Negura(黒い雨)」の記憶をたどっていくものだ。
「彼らも僕らと同じように、原爆の記憶が無い」と国本さんはその撮影動機をつづっている。
なんとなく、現代に生まれた同世代として、なんの命の逼迫を感じない世代として
「命は大切です」というような「嘘」をあばいてやろう、というような強い意志を感じました。上手く言えないけど。
まだ撮影中とのことで、是非完成したら観に行きたい。

こうしたドキュメンタリストとの出会いは本当に嬉しい。
「孤独ですよね?」「孤独ですね」「でも孤独が好きなんじゃないですか?」「そんなわけないです」なんて会話。

神戸で、いろんな人との出会いがあって、部屋でこもっていた私も
いろんな人と出会いたいっていう気持ちが少しづつ回復できた。
本当にぐわっと、力ずくで部屋を出てよかった。

それにしても、なんとなく、関西って丸みがあると思う。
人も声もご飯も。
エッジがないというか、ぐずっとしてるというか、だらっとしているというか
それは私の根幹にもあり、ぐずぐずな感じが生きていく力になっていたりするんだと
思った、関西初日でした。


ラジオ収録後、京都へ向かう。

ありがとうございました神戸の街は大好きです。

2009年10月10日土曜日

ブラジル映画祭 TOKYO PHOTO










台風が近づいているという前日の天気も、なんとか回避してくれて
当日は穏やかな秋晴れだった。






本当に皆様ご足路いただいて、ありがとうございました。
平日の夕方早めの時間だったので、仕事を切り上げて来て下さった沢山の方々。
遠方遥々来ていただいた皆様、ほんとうにありがとうございました。












上映後、交流会では阿部さんはじめ、ジョー・ダ・バビロニアさん、松田美緒さん、金子大介さん、MC BETOさん、中沼浩さん、野沢知子さん、マツモニカさん、中川恭太さん、スエリさん。みなさんに音楽を演奏していただきありがとうございました。





















ブラジル音楽、ブラジルを知らない人たちから、今日という日を通じて
「ブラジルに行ってみたくなった」「ブラジルに興味を持った」という声をいただきました。

ほんとうにありがとうございました。


写真家の和田浩さんの写真です。和田さんは、映画の撮影中、知り合いましたが淡い色調とこだわりを捨てない職人気質な仕事が素敵です。
ブラジルでも撮影されたことがあったとのことで、こうして知り合えて参加してもらえた縁に感謝します。



2009年10月9日金曜日

なごり



ハイビジョン素材に苦しんだ。
自宅のMACで普段の仕事では高画質で制作するはなく仮の映像で編集してそれをポストプロダクションで再編集し直す。
しかし、今はそんなお金はない、ということで自宅編集完成を試みたのだが、
新しいメディアのハイビジョンということでまだ国内には十分にその編集機能を携えたPCがないと、メーカに帰国後告げられる。
世の中、甘いことはない。。。

帰国したのが7月半ばだったかな。
それから2ヶ月半編集し続けた。約500時間の映像は10TBに膨れ上がり、一度PCはパンクした。そして半分ぐらい消えて、また作り直し…という作業を経て、なんとか形になった。
一人深夜、ほんとに追いつめられた夜もあったなぁと。

壁にはまだなんとなく寂しくて、未だにはがせないスケジュール表と、
構成を考えた付箋たちが、ひらひらと今もしている。



そしていろいろな方に励まされ続けて、ブラジル映画祭で上映していただける
という日が迎えられました。
多大なるご心配をおかけしたブラジル映画祭のエジソンさん、桃子さん、
ほんとに最後まで見捨てないでいてくれてありがとうございました。

仕事とは別に自分が大好きだったブラジルという国、音楽。
今年は、1月からその世界にどっぷりといた。
日本とブラジル両国で
懐かしい仲間、先輩、ブラジルの家族、仲間との再会があった。

ブラジル行きをバックアップしていただいた
ジェイインテルの吉村さんには言葉では表現できない感謝の気持ちで一杯だ。

そんな私がどっぶりとブラジルに浸って作った映画だったが、
今まで本当にお世話になった仕事の関係者が沢山見に来てくれた事が本当に嬉しかった。

私が映像の仕事を初めたのが、9年前。
初めて務めた会社の上司は、仕事をなんとか動かして観に来てくれた。
その後携わった番組や映画の先輩、同僚、同士。
自分が好き勝手にわがまま言って困らせた沢山の方が観に来てくれて
本当にうれしかった。
本当にありがとうございました。

できあがった映画への厳しい意見も本当に嬉しい限りです。

2009年10月8日木曜日

朝日新聞 朝刊(10/8付関東版)




上映一週間前ぐらいに、朝日新聞の石田さんから連絡があった。

「日本の大手メディアは一時的に在日ブラジル人問題に注目しました。
 しかしリーマンショックから1年たった今、状況は改善されていないにもかかわらず、ほとんど取り上げられなくなりました。
 何とか在日ブラジル人の現状を記事にしたいと思っています」

上映前、いろいろと悩んでいて引きこもっていたので
映画が、外界との初めての接触したように、世界が広がったようだった。

朝日新聞がある中央区築地に阿部さんと向かう。

石田さんは、学生時代に私と同じくブラジルに留学していて
朝日新聞に務められてからも、サンパウロ勤務が長かったそうで
そうなると、ほとんど説明も必要なく、という場の空気が出来上がるのが、「ブラジル力」だろう。

また、銀座のデモ行進に出たMC BETOも知り合いだったみたいでBETOの人柄というか、
そういう繋がりで、場が和らぐ、「BETO力」というもの感じつつ。
BETOありがとう。あなたはすごい。




石田さんは、
「日本にはサンバカーニバルがあったり、沢山の日本人がブラジル音楽好きなのに
 なぜ、国内の日系ブラジル人問題には距離感があるのか」

と、全く同じ疑問を全く同じ時期に感じられていたそうで
ほんとうに,心が救われるようだった。
映画を作るひとつの理由って、何か同じ考えの人を探している作業なのかもしれない、と
ふと思ったりした。

私はいろいろ言語化するのが苦手なので、
阿部さんに説明を頼りつつ。。。
つねに、おんぶにだっこの阿部隊長。
ほんとうにありがとうございます。

新聞では、阿部隊長とカルリーニョス7cordasの演奏の写真を載せていただきました。
是非、ご覧下さい♪

石田さんに、映画の結論ってどうでしたか?って言われて
ちょっと焦りました…が言語化できない気持ちを精一杯映像に焼き付けたつもりではございます。。。すいません。

取材の数日後、オリンピックがリオに決定!のNEWSが飛び込んで来て
紙面ぐりも大変だった中、
石田さんのご尽力のお陰で、
当日新聞を見て来館していただいたお客さんもたくさんいて、
ほんとうに感謝です。
そのご恩に向かいあわないといけない。
石田さん、ほんとうにありがとうございました。

少しずつ、「pertificando」がみんなのものになっていったら嬉しい限りです。

2009年10月7日水曜日

NHKラジオ国際放送局


【メディア掲載情報です】

●NHK国際放送局
番組は10月11日(日)正午に、ホームページに公開されます。
www.nhk.or.jp/portuguese
1週間、オンデマンド配信されます。
「Radio/Podcasting」の欄で、日本やアジアに関する話題、日伯関係の話題を毎日ポルトガル語で配信しています。

【11 de outubro】の欄で紹介していただきました。

2009年10月6日火曜日

さうんどとらっく。




ついにあさって、上映となります。。。


今回映画で主演してもらった、7弦ギタリストの阿部浩二さんに
映画音楽をお願いしました。



私が大好きなのは、「子守唄」です。
題名は無いそうです。

リオの丘で撮影していた時、弾いてくれました。
それがあまりに素敵だったので映画の中で、中心となる曲となっています。


その他にも阿部さんのギターやカバキーニョによるすてきな楽曲がちりばめられているので
そんなところも観てもらえたら嬉しいです。


赤坂のスタジオでMA作業をしながら、30時間の作業の末…、なんとか整音が完了。
オムニバスジャパン MAの小野さんも目がらんらんです。
小野さんは、ドキュメンタリーを大く手がけていらっしゃって
音の選び方が、人間に寄り添っていてとても優しい整音でした。






なんとか作業も終わり、
スタジオを出ると、すっかり日が昇っていて。。。
阿部さん、ホントにお疲れさまでした。ありがとうございました。