旅は好きです。
もう10年近く前になるかもしれない、神戸の大震災があった後、FMわいわいというラジオ局を知った。震災時神戸に住む外国人に向けて、世界11言語で神戸の長田から放送されている。
当時、ブラジル人コミュニティに向けても発信してるという話から、私は是非取材したいと訪ねた。プレハブの小さな建物の中で元気に活動されていた、金さんの姿は忘れられなかった。
ふと、ブラジル映画祭が、大阪でも今年から開催されるという事で、メールを送ってみたら、映画のことを取り上げましょうと、快諾していただいた。
「カンタ ブラジル」という番組に阿部さんと出演することになった。
なんとなく、見覚えがある鷹取駅前。住所を頼りに進んで行くと、当時のプレハブからは想像もつかない、立派なオシャレな建物が建っていた。
心地のいい土地というものはある。ここはそうだ。
なんとなく懐かしい気持ちで中庭を進むと、見覚えのあるマリア像が立っていた。
金さんと再会すると、「探したら名刺ありましたよ」と笑顔で迎えてくれた。
もう何年も前の事なのに、人との出会いを大切にしている金さんの仕事、お人柄に本当に頭が下がる。
金さんのご紹介で、関西学院大学の山中教授をご紹介頂く。収録までの間近くのお店で、関西寿司とビールをごちそうになりながら、お話をさせていただいた。
先生は、ハワイのフラダンスに始まる文化を研究されているということで、日本の中のハワイ文化についても、日々感じるところがあるという。
日本の中のブラジル文化もまた、同じ苦悩と魅力を持って存在している事が分かった。
それにしても、関西の先生は、とても友好的で敷居が低くてとても嬉しい。
ブラジルのようです。
その後は、関西学院大学山中ゼミの学生の皆さんの前で、阿部さんが演奏。
阿部さんは空気のようなのでいつでもどこでも馴染んでゆく。
ギターの音だけが神戸にひびいていて、その光景は日本でも東京でもブラジルでもなんら変らない。音があるだけなのだ。
収録は、関西ブラジル人コミュニティの松原マリナさんがナビゲーター。
スタッフの山田千恵さんの笑顔に和む。
マリナさんが、「pertificand」のタイトルを繰り返していて、うーんと悩んでいるようだった。「それは造語なんです」という話になって、マリナさんは、ポルトガル語を忘れちゃったのかと思いましたと。
阿部さんがポルトガル語でマリナさんと対話。
それをまた、日本語で伝える。マリナさんのポルトガル語への即興の翻訳がとても自然で優しかった。阿部さんの生演奏、映画でも登場する「子守唄」「Bossa Pra Edu」数曲を演奏して、50分の番組となりました。
こちら。
http://www.tcc117.org/fmyy/index.php?e=541
そして、FMわいわいの入っているたかとりコミュニティーセンターで働いていらっしゃる国本隆史さんとも知り合った。
国本さんは、東京出身で、神戸で働いている。はるばるここで。
私は大阪出身で、東京で働いている。はるばるあそこで。
阿部さんと、実家が近いという事で、なんだか会話が弾む。
国本さんはドキュメンタリーを撮っている。
今、撮影中の映画「記憶にございません」は、幼少期にヒバクシャ(被爆者)となった、日系ブラジル人のおばあちゃんを通じて、
その「Chuva Negura(黒い雨)」の記憶をたどっていくものだ。
「彼らも僕らと同じように、原爆の記憶が無い」と国本さんはその撮影動機をつづっている。
なんとなく、現代に生まれた同世代として、なんの命の逼迫を感じない世代として
「命は大切です」というような「嘘」をあばいてやろう、というような強い意志を感じました。上手く言えないけど。
まだ撮影中とのことで、是非完成したら観に行きたい。
こうしたドキュメンタリストとの出会いは本当に嬉しい。
「孤独ですよね?」「孤独ですね」「でも孤独が好きなんじゃないですか?」「そんなわけないです」なんて会話。
神戸で、いろんな人との出会いがあって、部屋でこもっていた私も
いろんな人と出会いたいっていう気持ちが少しづつ回復できた。
本当にぐわっと、力ずくで部屋を出てよかった。
それにしても、なんとなく、関西って丸みがあると思う。
人も声もご飯も。
エッジがないというか、ぐずっとしてるというか、だらっとしているというか
それは私の根幹にもあり、ぐずぐずな感じが生きていく力になっていたりするんだと
思った、関西初日でした。
ラジオ収録後、京都へ向かう。
ありがとうございました神戸の街は大好きです。